馬也ホースレーシング

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【ウマ娘】シンデレラグレイ46R ウマもヒトもまたシンデレラ。ならば彼らに必要なのは「魔法使い」だ。

 武豊女体化の衝撃も冷めやらぬ中菊花賞がスタートした「シンデレラグレイ」ですが、またしても新たな「シンデレラ」の登場です。では、シンデレラとはいったい何なのか。クリークの菊花賞をめぐるいくつかのエピソードから考えてみたいと思います。

 

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 まず改めて押さえておきたいのが、スーパークリークが88年の菊花賞への出走がかなった経緯について。

 

 スーパークリークは秋初戦の神戸新聞杯こそ3着に入ったものの、当時まだこのレースは菊花賞トライアルではなく、3着では出走順を決める収得賞金の加算もならなかったため、立て続けに京都新聞杯に出走します。

 

 しかし、このレースではのちに菊花賞の2着に入るガクエンツービートの騎手のムチの使い方が荒く、道中幾度となくクリークの顔を叩く形となる不利を受けて6着に敗れてしまいます。これには、武豊騎手もスーパークリークのトレーナーである伊藤修司調教師も怒り心頭に発したものの着順が入れ替わることはなく、結局トライアルレースで優先出走権を得ることはかないませんでした。

 

 

 菊花賞直前の段階でスーパークリークはフルゲート18頭に対して出走優先順位は19番目。そのまま上位18頭が出走をすれば除外となる状況の中、上位にいたマイネルフリッセのオーナーである故・岡田繁幸氏が出走を取りやめたため、ギリギリで出走がかなうこととなります。

 

 この辺りは人間まわりのエピソードのため「シンデレラグレイ」の中で詳述されることはありませんが、45Rにてスーパークリークの菊花賞出走がほかのウマ娘の回避によってかなうという形で描かれています。

 

 さて、岡田氏がマイネルフリッセの出走を取り下げた経緯ですが、かつて岡田氏は生産者仲間としてスーパークリークの生産牧場である柏台牧場に対して自ら配合のアドバイスを行っていたことがありました。

 

 このアドバイスをもとに行われた交配で生まれた馬こそがまさにスーパークリークであり、その経緯とこれまでの戦績から、スーパークリークの実力はマイネルフリッセよりもはるかに上と見て、その馬が出走除外の危機にあるのであれば、出走優先順はさておき能力的に劣る自分の馬を撤退させる、という判断によるものでした。

 

 この岡田氏の判断に、「劣る」という評価を下されたマイネルフリッセを管理していた中村均調教師はもちろん大激怒、以来、この10年後にマイネルマックスで朝日杯3歳S(現・朝日杯FS)を制するに至るまで一時関係性が冷え込んだりもしましたが、それでもなおスーパークリークという「シンデレラ」にチャンスを与えた岡田氏は、さながら「魔法使い」の役回りだったといえるのではないでしょうか。

 

 また、このマイネルフリッセを管理していた中村均調教師も、武豊という若き「シンデレラ(というには競馬サークル的には整った出自ですが)」にとっての「魔法使い」的存在でした。くだんのマイネルフリッセに春シーズンに騎乗していたのはほかならぬ武豊騎手でした。

 

 このことから中村師と武豊騎手の関係性が強いものであることがうかがい知れますが、それもそのはずで、今日に至るまでの武豊騎手の膨大な数の重賞勝利の一勝目は、中村均調教師の管理馬・トウカイローマンによるものでした(1987年・京都大賞典)。

 

 1984年のオークス馬でありながら、加齢による衰えで1986年いっぱいでの引退が決まっていたトウカイローマンの現役続行を訴えた中村均調教師が、翌87年シーズンの起死回生のために指名したのが当時デビュー1年目の武豊騎手でした。

 

 テン乗りの小倉記念は5着に敗れるものの、続く京都大賞典ではスローペースを好位で折り合って新人離れした冷静な騎乗で抜け出しての勝利。その頃はまだ「武邦さんの息子」という評価でしかなかった武豊騎手がスターダムに上り詰めていく第一歩を見事に演出して見せたのです。

 

 また、中村均調教師によるトウカイローマンの現役続行判断は、この年(1987年)の春に予定されていたシンボリルドルフとの交配にも影響を及ぼし、宙に浮いたルドルフの種付け株に対して代わりに用意された牝馬が、トウカイローマンの妹であるトウカイナチュラルでした。

 

 そうして翌88年に生まれた仔は、牧場の柵を飛び越えて外に遊びに出てしまうほどの強靭なバネを持ち、オグリキャップが奇跡のラストランを走った1990年12月23日に、裏開催の条件戦を圧勝して翌年のクラシック戦線に名乗りを上げるとそのまま皐月賞・日本ダービーを無敗で制しました。この馬こそ「皇帝の息子」トウカイテイオーなのですが、これはまた別の話。

 

 本題に戻りましょう。このようにして岡田繁幸という「魔法使い」の手によって菊花賞という「舞踏会」への出席がかなったスーパークリークと、中村均調教師という「魔法使い」の手によってスターダムへの第一歩を踏み出した武豊騎手が奇跡的に巡り合って挑んだのがこの菊花賞、というわけです。

 

 こうして実現したまさに「一生に何度あるかわからない本当の出会い」ですが、スーパークリークと武豊の関係性も、今回ウマ娘のスーパークリークと奈瀬トレーナーとのシーンでも描かれた通り、お互いにとってお互いが「シンデレラ」でもあり「魔法使い」でもあったのです。

 

 人の縁や馬の縁というのは、実に数奇なものだと思わされることしきりですが、他にも6分の3の抽選を潜り抜けて皐月賞を制したヤエノムテキもまたシンデレラであり、前年の皐月賞・菊花賞を制しながら非業の死を遂げたサクラスターオーの忘れ物、日本ダービーをスターオーと同じオーナーと調教師の手によって制したサクラチヨノオーもまたシンデレラでした。

 

 それだけでなく、あまたの競走馬はすべからくシンデレラであり、人間の手を借りなければ生きていくことすらできない競走馬たちにとって、かかわる人間たちもまたすべからく「魔法使い」であるというのが競馬です。

 

 そう考えると、この漫画のタイトルの「シンデレラ」って、かなり深いネーミングだなあと改めて思うわけです。