馬也ホースレーシング

一口馬主・馳走(はせ・はしる)のブログです。シルクHC・ノルマンディーOC・DMMバヌーシーにて出資中。シルク2021年産・ターコイズフリンジ命名。競馬以外の話題はnoteにて発信中。 https://note.com/machino_sokoyori

【ウマ娘】シンデレラグレイ44R 「日本競馬にとって最も幸せな何年か」が始まる。

 1週間の休載明けで連載再開となった「ウマ娘 シンデレラグレイ」。コミックスが紙と電子合計で累計100万部を突破したようで、無事に久住太陽先生宅に洗濯気が導入される運びとなったようです。次は掃除機ですね。

 

 今週も最新話はヤンジャンアプリにて購読可能です。

ynjn.jp

 

 コミックスの店頭在庫も順次復活しているようです。

 

  今回は、天皇賞・秋の戦いを終え、それぞれ次のレースに向かうオグリキャップと同期メンバーたちの様子を描くストーリーとなりましたが、まずはサッカーボーイと思しきディクタストライカちゃんの宣戦布告と、かんたんオグリによる「私はそのレースには出ない」のくだりですね。

 

 当時、マイルでは最強を誇り、この年のマイルチャンピオンシップを旧4歳ながら古馬を一蹴して制するサッカーボーイですが、オグリキャップとの直接対決はこの次の、結果としてラストランとなる有馬記念のみで、マイルでの対戦はついにありませんでした。

 

 ニュージーランドトロフィーの段階で、同コースで行われた安田記念のニッポーテイオーの勝ち時計を上回っていたオグリキャップとサッカーボーイ、どちらがマイルで強かったのかはもはっや確かめるべくもありませんが、この時代の「たられば」の中では熱量の高いネタではあります。

 

 そして、そんな肩透かしを食らったディクタストライカとすれ違うスーパークリーク。当時は天皇賞の後に菊花賞だったので、これから覚醒の時を迎えるわけですが、有馬記念への出走を決めたディクタストライカ同様、菊花賞の後は有馬記念に向かいます。翌年、ここにイナリワンが加わっていわゆる「平成三強」を形成するのですが、タマモクロスとの激闘の一方で、徐々に役者がそろい始めるのがこの時期でもあります。

 

 直木賞作家で、大の競馬ファンとしても知られる高橋源一郎氏は、昭和の終わりのこのころからオグリキャップが引退するまでの2~3年間を「日本競馬にとって最も幸せな何年か」と評したことがあります。

 

 競馬にまつわる数々の著作がある高橋源一郎氏ですが、氏はいわゆる「競走馬にドラマを投影する」という観戦スタイルをあまり好んではいなかったようです。それでも、オグリキャップが走った数年間については「表現しがたい熱狂」の中にあったとのちに振り返っています。

 

 それは、オグリキャップをはじめとしたGⅠホースのみならず、そこにわずかに手が届かなかった、あるいは主役不在の中でタイトルを勝ち取った馬たちがそれぞれに豊かな個性とドラマを持っていたからに他ならないでしょう。

 

 それらのドラマは、現在に比べるとまだ科学的に調教技術や競走馬飼料の改良が進んでいなかった時代、騎手や調教師など人間の技術レベルも本場欧米には遠く及ばず、血統に至っては「種牡馬の墓場」と揶揄されていた時代の、ある意味不完全でいびつな馬や人たちがメインストリームにいたからこそ生み出されたものであり、おそらく21世紀も間もなく4分の1が終わろうとしている現在や将来にわたって再現が期待されるものではありません。

 

 もちろん、今は今で人馬それぞれにドラマがあり、それらは日々更新されているわけですが、いびつで不完全ゆえの「表現しがたい熱量」が「日本競馬にとって最も幸せな何年か」の根本であるとすれば、シンデレラグレイの熱量の正体はこの「表現しがたい~」であると考えられ、せめて創作の世界の中で、それを追体験するのも悪くないと思いますし、今こうやって追体験できているのは本当に幸せなことだと思うのです。