【ウマ娘】シンデレラグレイ 37R 閃光ッ!タマモクロス、まさかの先行策…ふふっ
うちのルドルフ会長が☆4になったので、ナウなヤングにバカウケのチョベリグなギャグから始めてみました。恒例のシンデレラグレイを細かく味わっていく木曜日でございます。
今回も最新話はヤンジャンアプリから購読可能です。
ウマ娘アプリの配信を記念して、2021/4/8現在1R~22Rまで無料で読むことができるので、試しに読んでみて気に入ったらコミックスを購入して集英社様にきっちりとお金を還元しましょう。
さて今週は、いよいよ秋の天皇賞がスタート。まずはトウショウサミットっぽいトップシュンベツちゃんのおっぺけ出遅れから始まります。
トップシュンベツことトウショウサミットは、現役時代の重賞勝ちは当時ダービートライアルだったNHK杯くらいしかないのですが、この馬にまつわるドラマとして語らずにはいられないのが、デビュー当初の主戦騎手であった故・中島啓之さんのエピソードです。
中島啓之さんは、1937年にヒサトモでダービーを制した中島時一さんを父に持つ二世ジョッキーで、自身も1974年のダービーをコーネルランサーで制し、史上初の親子でのダービージョッキーとなりました。
そんな中島さんが騎手としての、いや、人生の最晩年に騎乗し、1985年のダービーに挑んだのがトウショウサミットでした。
この時すでに中島さんは肝臓がんに冒され、余命いくばくもない状況でありながら命を燃やすようにダービーに騎乗。2400mのレースのうち2200m近くを先頭で逃げ、最後は18着に沈むものの完全燃焼の騎乗を見せた姿は後々まで語り継がれています。
なお、中島さんはこの1985年のダービーが生涯最後の騎乗となり、それから16日後、42歳の若さで亡くなられています。中島さんについて詳しく語られた記事もあるので、ぜひ読んでみてください。
そして、本編に戻りましてタマちゃんですが、トレーナーのコミちゃんもビックリの先行策を見せます。実際に原作(史実)でも、タマモクロスを管理する小原伊佐美調教師は、タマモクロスと南井克己騎手の先行策には度肝を抜かれたそうです。
なぜタマモクロスは先行策に打って出たのか、これは、オグリキャップがタマモクロスを意識したように、タマモクロスもまたオグリキャップを意識していたからに他ならないのですが、これについてはまた次回以降詳しく語られると思うので、その時にでもつらつらと書き綴りたいと思います。
で、作中でコミちゃんが言及していた「デビュー直後の転倒事故」ですが、原作のタマモクロスはデビューから4戦目の「4歳400万↓」で、集団落馬事故に巻き込まれています。
ここから成績が低迷し、馬込みを嫌うようにして後方待機策を取るようになってから一気にブレイク、というのは確かにその通りなのですが、連勝街道が始まって2戦目の「藤森特別」では、コーナー通過順位6-4-1-1の積極策で勝利を挙げており、決して後方待機一辺倒ではなかったこと、88年の初戦となった金杯(西)では最後方からの競馬ながら内をついて馬群を縫うようにして抜け出してくるなど、馬込みでも競馬をすることができており、これらのレースに一貫して騎乗していた南井騎手はそのことをよくわかっていた、そのうえでの先行策だったのです。
いっぽう、オグリキャップに騎乗していた河内騎手は…という、騎手同士の駆け引きが明暗を分けることになるこのレースですが、果たしてウマ娘ではどのように描かれるのでしょうか。