馬也ホースレーシング

一口馬主・馳走(はせ・はしる)のブログです。シルクHC・ノルマンディーOC・DMMバヌーシーにて出資中。シルク2021年産・ターコイズフリンジ命名。競馬以外の話題はnoteにて発信中。 https://note.com/machino_sokoyori

秋の天皇賞とクロフネとアグネスデジタルと「ミヤさん」のこと。

火曜日に行われた即位礼正殿の儀は

実にファンタジックで、週末に

行われる天皇陛下御即位慶祝競走の

副題がついた今年の秋の天皇賞も

俄然楽しみになってきました。

 

ちなみに、天皇・皇后両陛下の

御成婚慶祝競走として行われた

1993年春の天皇賞の勝ち馬は

「ライスシャワー」でしたね。

とても出来過ぎな名前の馬が

勝ったものだと当時それなりに

話題になったような記憶があります。

 

また、時の天皇・皇后両陛下の

行幸啓を賜っての天覧競馬は

平成の御世では二回行われ、

2005年・ヘヴンリーロマンスで

勝利した松永幹夫騎手

(現調教師)の馬上敬礼や、

2012年・エイシンフラッシュで

勝利したミルコ・デムーロ騎手の

下馬最敬礼はまさに競馬史の

一ページですが、個人的に

どうしても忘れられないのが

2001年秋の天皇賞の事です。

 

このときの天皇賞は、まだ

外国産馬出走に関して段階的

解放の途上にあり、レース前の

出馬投票からひと悶着あった

レースとして記憶されている方も

少なからずおられるかと思います。

 

要するに、クロフネと

アグネスデジタルの問題ですね。

 

当時外国産馬の出走可能頭数は

わずか2頭で、賞金順で行くと

メイショウドトウ・クロフネの順で

2頭の出走と見られていたところに、

交流G1南部杯を勝利した

アグネスデジタルが名乗りを

上げたことで、クロフネが賞金順で

3番手となったために出走がかなわず、

前走ダートグレードからの転戦と

なるアグネスデジタルに、果たして

出走に値するだけのものがあるのか

という議論・バッシングが

巻き起こったというのが事のあらまし。

 

結果はご存知の通りアグネスデジタルが

外ラチ沿いぎりぎりを急伸して

テイエムオペラオーを差しきっての優勝。

「これならばクロフネ陣営も納得」

というテレビ実況のフレーズも

印象的でした。

 

天皇賞への出走がかなわず、前日の

メイン・武蔵野Sへ回ったクロフネも、

このレースでダートでの能力を覚醒させ、

驚愕の9馬身差圧勝を見せたのも

この週末のハイライトとして、強く

競馬ファンの記憶に刻まれている

ことでしょう。

 

個人的に、この週末の事を

思い返すときに合わせて思い出すのが

「ミヤさん(仮名)」の事です。

 

ミヤさんはワタクシの一つ年上で、

当時兄貴分のようについて回って

遊んでもらっていた人でした。

 

共に競馬が好きなことで意気投合し、

毎週のように東京競馬場の

旧スタンド2Fにあった「京王」という

レストランの前あたりを定位置に

競馬をやり、勝っても負けても

帰りは武蔵溝ノ口の「王将」で、

餃子をあてにビールを一杯、

というのがミヤさんとの週末でした。

 

今でこそドヤ顔で出資馬の仕入れに

当たって馬体の見立てをしている

ワタクシですが、ダビスタから

競馬に入った小僧に、「ゲームの

グラフィックじゃない馬体の見方」を

教えてくれたのが、ほかならぬ

ミヤさんでした。

 

そのミヤさん、相馬眼は本当に

素晴らしく、当時特に入れ

あげていたのがクロフネでした。

 

ワタクシがクロフネを始めて本場で

観たのがNHKマイルカップ。

このときのまさにミヤさんの見立て

そのままのクロフネの勝ちっぷりを

見て、本当にミヤさんのことを

尊敬したものです。

 

そして、その次のダービー。

クロフネは伸びを欠いて4着。

まるでこの世の終わりのように

落ち込んだミヤさんと一言も

交わさず、南武線に揺られて

帰ったことも忘れられない

思い出です。

 

そんなミヤさんと最後に過ごした

記憶のある週末が、2001年秋の

天皇賞の週末でした。

 

クロフネの天皇賞出走がかなわず

ミヤさんさぞ落ち込んでいるだろうと

思っていたら、実にあっけらかん

とした表情で、「クロフネならば、

もしかしたらダートで大化け

するかもしれんぞ。」と、土曜日の

朝から言っていました。

 

ワタクシ、口には出さないながらも

「さすがに強がりかな」と思って

いたら、あの武蔵野Sですよ。

本当にミヤさんの見立てには

今も恐れ入ります。

 

そして、翌日に一緒に見届けた

アグネスデジタルの勝利が、

記憶にあるミヤさんとの最後の

競馬観戦でした。

 

特にミヤさんと何かあったわけでなく、

その後も何度か一緒に競馬に

言っているはずなのになぜか

思い出せず…その日、翌年の

クラシック戦線について話した中で

ミヤさんが言った、

「俺はタニノギムレットだと

 思うんだよなぁ…」という

ひと言は、これまたなぜか

よく覚えていて…。

 

翌年、ミヤさんと一緒に競馬に

行くこともなくなり、ひとり渋谷の

ウインズ観たダービーの

勝ち馬がタニノギムレットで、

そのときミヤさんとの前年秋の

会話を思い出し鳥肌が立った

ことを今でも昨日の事の

ように覚えています。

 

結果的にこのレースを最後に

タニノギムレットはターフを去り、

ミヤさんと通い詰めた東京競馬場の

旧スタンドもこの開催を最後に

建て替えられ、今は巨大な

「フジビュースタンド」となって、

ミヤさんのことを思い出すことも

少なくなりましたが、それでも毎年

この時期になるとふと思い出す

天皇賞の記憶です。

 

ミヤさん、20年近く会ってないし

連絡先も分からないけど、

元気にしてるといいなあ…。